ミニバイク耐久奮戦記(レース編)
仙台まできてツーリングするな!の巻
うーん、眠い。夜を徹して東北道を縦断してきた我々は強風の吹き荒れる中トランポの中で仮眠をとっている。
今日は午後から走行練習。ラジオでは東北道渋滞90キロと伝えている。
ご苦労さんと思いながら、風で揺れる車の中でゲートオープンまで体を休める。
さて、今年はいろいろあってライダー二人とだまして連れてきたタイム集計係の女の子二人の四人組で
仙台へとやってきた。
ピットクルーの女の子は一人はFISCOでヘルパーの経験はあるが、もう一人はバイクには乗るがレースは
まったくの始めてである。どちらにしても、タイムの集計がやっとで、他の仕事までは手が回らないだろう。
(草レースでは周回数の集計などは自己集計である。これがちゃんとできないとレースに参加できない)
トラブルの発生は即リタイヤを意味する厳しい布陣である。
ゲートオープンの時間となった。約束どうり女の子二人は遊園地へ(このサーキットには結構大きな遊園地がある)
ライダー二人はパドックへと向かう。今日は私が一人で走る(まあ、30分だけだけど)なにせ私は西仙台のコースは
初めてである(クルーとしては4回来ているけど本コースはFISCOを数年前まで走っていただけ)
レクチャーは受けたけど走ってみなけりゃ解らない。さてどうなる事やら。ちょっと、緊張である。
走行前の点検、バイクは出発前に完全に仕上げた(つもり)後は空気圧をチェックして、ガスを入れるだけである。
あれ?エアゲージがない。恥をしのんで、他のチームから借りてくる。エンジンは絶好調。これも過去の経験の
なせる技か?このコースは結構標高も高く、いつものキャブ調整ではかぶるのだが、今回はそれを見越して
セッティング済。「平沢さん、今日はツーリングでいいからね」の声に見送られて、コースイン。思いきり、緊張する。
やっぱり、本コースは広い。最高速があまり伸びないMP仕様のNSRでは何処を走って良いのやら解らないくらい
ラインがとれる。でも、台数が多すぎる。明日のレースでは、今走っている4倍のバイクが一緒に走ると考えると、
走るところなんてあるのかしら?
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写真は練習日のこの1枚だけ |
そんなこんなで数周流した後、ある程度タイヤも温まってきたので、ちょっと、攻め込んでみる。ヘヤピン入り口で
ブレーキング。あれ?早すぎる。ブレーキをかけるのに、普通ならコーナー手前の距離表示やサインポストを
目標にするのだが、コースに対してスピードがでていないので、それでは早すぎる。コーナーに入ってから
握る感じである。ブレーキのポイントを探しているうちに、時間終了。正直言って、ブレーキをかけるのは2カ所のみ、
後2カ所で軽くブレーキを当てるだけ、NSR50で走ると、西仙台もFISCO並みの超高速コースとなるのでした。
(えっ、タイム?聞かないでくれ、ツーリングだったのだから) 走行後のエンジンチェックでも、セッティングは
バッチリと解った。問題はライダーのセッティングである。こればかりは何本頭の中で切れるかの問題だ。
それは明日の課題として、青葉城を見学して、風呂へ入って早く寝るとしよう。あー疲れた。
さあ本番、おいおい大丈夫かの?の巻
一夜明けて、レース本番。今日も良い天気である、このレースなぜか毎年雨が降る。さて今年は?・・・
ゲートオープンと同時にパドックへ、ピットまで走って荷物を運ぶ。なにせ1ピットに6チームも入るから、
早いもの勝ちである。いちばん良い場所を大きくキープ、レースはもう始まっているのだ。
レース前の走行練習が始まる。さあ、ヘルパーのお姉さん方の出番だ、ちゃんとタイムが測れるかしら?
黙って見ているとうちのバイクが通過したのに、ストップウオッチを押さない。「おいおい、もう通過したぞ!」
「えーっ、判らなかった!」 これで大丈夫なのか?当分は一緒にいなくてはと、とても不安になった。
練習走行も無事終了、相棒もセッティングはこれで良いという。ガソリンを補給して、ちょっと曲がっていたブレーキ
レバーを交換しているともうスタートの時刻。なにせピットクルーがいないから、全部ライダーだけでやらなくては
ならない。したがって、時間の経つのが早い事。去年までとは、大違いである。
10時20分、199台のバイクが一斉にスタート。1コーナーへと消えて行った。(なにせ台数が多いから、
スタートは一斉でも、消えて行くのは徐々になのでした)
今回、我々のチームは目標を大幅に下げて、完走を目標とした。時間配分も、相棒が1.5時間*2+1時間で
4時間走行。私がその間に1時間ずつ2回となっている(少しでも順位があがるように工夫?した)
しかもレース前に相棒から、「平沢さん、今年はコース上で切れないで下さい。転倒したら、
バイクの修理もままならないし、怪我でもしたら、ライダー不足でそくリタイヤですよ。そんな事になったら、
10年はぶちぶちと文句を言いますよ」と釘を刺されてしまった。これが、一番のプレッシャーである。
さて、1時間半が経過、最初のライダー交代だ。ガスを補給して、コースへと飛び出す。
相棒はだいたい2分40秒ペースで周回を重ねている(かなりセーブしていた模様)さあ、俺もという心を押さえて、
最初は様子見から始める。前を走るそれなりのライダーに付いてコースを廻る。「ビューン」と速い奴らがアウトから
かぶせて来るが、なるべく気にしない、まだ1時間半しか経過していないというのに、あちこちで、リタイヤしたバイクや
ピットまで押して戻る連中を見かける。「ご苦労な事だ、ここから、ピットまでは2キロもあるぜ、俺はああ
ならないからな」と心に誓いながら周回を重ねる。
2周ほどしたところで、ピットサインが出始める、タイムは「げっ!3分ジャスト?」ちょっと、ゆっくり走りすぎたようだ、
ペースを上げなければ。ありがたい事に、うちのマシンはちょっと高めのギヤ比が効いて、ストレートでは
面白いほど他のマシンをかわせる。(なんたって、6速でピークになるのが、コーナーまであと100Mの看板の所
なんだから)ストレートで4、5台はごぼう抜きである。後は、コーナーでスピードを落とさなければ勝ちのはずである。
ところが、走っているバイクの数が半端ではない。コーナーに数台が同時に飛び込んで行くのは当たり前、
気迫と根性の負けた奴はどうしてもブレーキをかける事になる。残念ながら、私は根性で負ける。
したがって、インを取られるとブレーキングしてしまう。一度車速が落ちるとギヤが高いのが災いして、
コーナーで抜かれてしまう。そんな事で、抜きつ抜かれつを繰り返しながら、2分53秒前後で、
1時間を走り終えた。
転倒させても自分は飛ばないの卷!?
ピットインして、ライダーの交代とガスの補給。他のチームは人手があるから、メカニック達が、
ガソリンタンクを抱えて給油しながら、他の人間がバイクのチェックやら、シールドの掃除やらやっている側で
ライダー同士が情報交換をやっている。その光景はまるで8耐のそれと一緒でかっこいいが、うちは違う。
完全に走る格好をしたライダーが、タンクを抱えて待っているのだ。うちのヘルパーの姉さん方からも
「そんなチームは他にない。恥ずかしいから手伝って上げようか」とまで言われてしまった。
今更そんな事をいわれても、かえって足手まといだから丁重に辞退する。どうせ、交換する情報など無いのだ。
コース上はいたるところで転倒の嵐、救急車が走り回るという修羅場とすでに化している。相棒の「バイクはOK。
コースは行けば判る!」の一言で俺の2回目で最後の走行が始まった。
なにせ二人のタイム差が10秒以上あるから、相棒が走っていると50位ぐらいなのに、俺が乗ると一気に
80位くらいまで順位が下がるのだ。「もっと、切れなきゃ」と思いつつも、もしもの事を考えるとタイムが伸びない。
レースも後半戦に突入しており、ここでのミスは取り返しがつかない。他のライダー達も、緊張が続かないのが
増えてきたせいか、あちこちで飛んでいる。周回によっては、すべてのポストで黄旗が出ているくらいだ。
こうなると自分のミスより、巻き込まれて飛ばされる危険の方が大きい。とにかく走りながら「突っ込んでくるなよぉ」と
祈るしかない。
ストレート重視のセッティングをしたうちのバイクでは、他のバイクを確実にかわせるのが
(まあ、遅いのは何処でも抜けるけど、タイム的に差の無い奴を)裏のストレートの終わりにあるシケインである。
ストレートエンドでバイクの鼻を突き出せれば、ほぼシケインをストレートに通過できるラインに乗れる。
そこに乗りさえすれば、ギヤを1速落としながら登りのコーナーへ駆け上がって行けるのだ。その周回も、
同じ方法で1台抜き去ろうとしたら、イン側に遅いバイクが数台いたので、アウトからシケインに突っ込む。
よし、抜いたと思った瞬間。イン側の遅いバイクが膨らんで来て、俺のラインは塞がれた。もっと内側なら
いくらでも逃げるコースはあるのだが、アウト側の私の前にはゼブラと砂のエスケープゾーンしかない。
「げげっ!」と思ったが、砂と戯れている訳にはいかない。砂山ならFISCOで嫌というほど戯れている。
根性一発ゼブラへと乗り上げる。予想どうりバイクは跳ね上げられたが、中井での経験を活かして、
ふらつきながらも着地。よれよれの状態で次のコーナーへと駆け込んだ。
私が飛びそうになったのはこの一度きりであったが(やっぱり、前の日神社にお参りしたのが効いたのだ)
あちこちのコーナーで、転倒シーンの続出であった。まるで、スローモーションを見ているように転んでいくんだな
これが。
スリップダウンあり、ハイサイドあり、コースアウトしてそのまま自爆あり、追突して救急車ありと転倒シーンの
オンパレードであった。そのうちの一台は私がS字コーナーを通過するとき2つ目のイン側が団子状態で
塞がれたので、1つ目のインぎりぎりをついてから大回りしようとしたら(普通の状態なら1つ目のインはがら空きになる)
更に俺の外側を抜けようとしたバイクの鼻先を塞いでしまったらしく、驚いたライダーが、フロントブレーキをロックさせ、
空を飛んでいってしまった。そのライダー私の背中をヘルメットで押してから、きれいにヘルメットの頂点のみの
1点滑走でコース外へバイクと共に消えていった。(御免ね、君に気がついたときはもう君はブレーキをかけたあと
だったんだよ。君が、コース上を滑っていく様はずっと忘れないよ。思わず振り返って、見てしまったよ)
俺は悪くないぞーと自分に言い聞かせながら、一周して戻ってくるとバイクもライダーも消えていた。
再スタートしたんでしょう。よかった。
そんな事をやりながら、残り50分で、最後のライダー交代となる。「頼むぞー」と相棒を送り出すとほっとしたと
同時に、もう少し走りたいなと思わず思った。
本当の耐久はこれから始まるの卷
あと数分で、ゴールである。3時半頃より気温も下がってきて、ずっと走り易くなった。でもバイクの方は、
6時間近くの全開走行で、熱ダレを起こしている。ラジエーターを交換できない規則なので、最後の頃は
さすがにダメである。相棒もサインでそのことをずっと言っている。タイムも、かなり落ちている。
「もういいから、無理するな。無事にゴールしろ!」ピットサインでとっくに相棒に伝えてある。でも、彼は最後まで、
全力を尽くすだろう。他のピットのクルーもそして走行中のライダーもみんな同じ考えだろう。
そして、ゴール。うちのバイクは、チェッカー後すぐに7台目にコントロールラインを通過した
(もったいねーもう少し(実に7秒)で、順位をかなり上げられたぞ!と思ってしまった私は実に正直モノだと
自分でも思う)
レースの途中で「騙された。6時間以上も陽の当たるところで立ちっぱなしなんて聞いてなかった!」
とぶつくさ言っていたヘルパーの姉さん達も本当に喜んでいた。
どう考えても、一番苦労したのは彼女達だったであろう。毎周回ごとにラップをチェックして、それを30分おきに提出。
食事をする暇もなく、帰ってこないかもしれないバイクを6時間見守り続けたのだから。
「御苦労さん!」「まあ、今年はこんなものでしょう。それより平沢さん、来年はどうします。」
「当然A・Bチームの2台だしでしょ!」「ライダーは?」「お前と俺と、今年来れなかった二人でしょ」
「やっぱりねぇ・・・」と笑いながら、かたずけをおこない。夕闇迫るサーキットを後にした。
満足して疲れた4人と、がんばったバイクを乗せたバンは一路東北道を家路へと向かう。
このレースの本当のレースはみんなの家までの8時間耐久無事故運転レースなのだ。
おわり